こんにちは、つくねです。
今回は「英語が話せる人」についてお話したいと思います。
日本では英語を話せるのすごい!って言われている人に対して、今時話せるの普通じゃない?っていう声があがります。
それっておかしくない?
と私は思うのです。
英語と密接な関係の国や地域
世界には196か国の内100か国以上が2言語以上の公用語/準公用語が存在する国であり、その中でも英語が公用語/準公用語としている国は国や地域も併せると86箇所あると言われています。(2025年時点)
2分の1以上の国や地域が英語と強い結びつきがあるので、英語が話せるということは世界的に見ても「普通」のことかもしれません。
でも。
でもですよ。
その人たちだって、2言語以上話すために幼少期の頃苦労したと思うんです。
よくバイリンガルだから英語ペラペラでいいな~小さい頃海外に住んでたんでしょ?それはペラペラになるよね~なんて話を耳にしますが、彼らがどれだけ苦労して習得したことか!
SNSでバイリンガル教育の難しさや、多言語の中で生活している子供の言葉の遅れ、住んでいる現地の言葉が疎かになる…などの沢山の壁があることを知りました。
習得が早いと言われている子供だって、2言語以上操るのは大変なんです。
私たちだって、なぜ日本語を話せて書けて読めるのかというと、学校に行って努力したからですよね。
生きるために必要だったから、学ぶのが当たり前だったから当時は頑張っているという認識がなかったかもしれませんが、それでも言語に真剣に向き合った時間があったからこそ、言葉を操れるようになったのです。
日本人と英語の距離感
「日本の英語教育は遅れている。」
その通りだと思います。
でも、だからこそ、日本で英語が話せるってすごくないですか?
本来であれば、学校の教育だけで英語が話せるようにならなくてはいけないのですが、昨今の日本ではそれが達成されていません。
そんな危機的状況を打破すべく、様々な方が英語学習について事業を行っているのもよく耳にすると思います。
だからこそ、本人の努力がダイレクトに影響していると思います。
その努力を当たり前だなんて言うのは、とても失礼なことだと思います。
褒めたからと言って時代遅れだとは私は思いません。
※誤解されないために言うと、私は英語が話せません。
大学の英語のクラス分けでも最低クラスでした。
なので、決して自分は英語話せて褒められないのが悔しい!と思っているわけではありません。
むしろ、話せないからこそ、話せる人の事をめちゃくちゃ尊敬しています。
話せる人からの攻撃
今まで英語話せるのは今も昔も変わらずすごいんだよ!ということをお伝えしてきました。
ただ、話せるの当たり前じゃん!この人の英語大したことないじゃん!と言っている人たちの中では、同胞、つまり話せる人が話せる人へ行っている場合もあります。
私の英語より大したことないじゃん。ってことです。
そんな人たちに対して思うことがあります。
大したことあっても、何かあなたに影響ありますか?
と。
もし英語教師や通訳を目指していて、ライバルよりも自分の方が語彙力もあるし伝えられるのに、あの人の方が評価が高いのはなんで⁈って思うのは理解できます。
なぜなら自分の英語の評価がキャリアに響きますからね。
でも、日常で英語を話している一般人や英語でスピーチした芸能人に対して、あの人の英語は悪いというのは違うのかなと。
よくこのシチュエーションは留学先で起こるみたいです。
留学先で日本人同士がつるむと英語のジャッジがはじまると。
そういう時に想像してみてほしいことがあります。
例えば、ある時英語話者に「日本人って英語全然話せないよね」と言われたとします。
あなたは英語が話せる友達しかいない場合、どう答えますか?
「日本人でも英語話せる人いるよ!」
って言いますよね。
ほら、ライバルだったはずの英語スキルを認めているじゃないですか。
つまり「視野を広げろ」「味方を増やせ」ってことです。
視野と味方を増やせ
自分のコミュニティが狭ければ狭いほど、ライバルは増えます。
コミュニティを広げれば広げるほど、味方は増えます。
共通の敵がいると今までライバルだった人も味方になりますよね。
学校のクラス内でライバルがいても、クラス対抗になるとライバルが味方になる。
チーム対抗でライバルチームがいても、国対抗になるとライバルチームが味方になる。
この考え方でいけば、みんな「日本人」というチームで味方なんです。
自分は日本人で英語が話せるのに、他の国からは日本人は英語が話せないって思われるって悔しくないですか?
それなら味方のレベルを上げて、自分の所属するチームを強くしたいと思いませんか?
なぜわざわざ味方を下げて自分も下げるのなんてとてももったいないです。
なので、今も昔もこれからも英語話せる人はすごい。でいいじゃないかと思うのです。
どんどん味方の良いところを見つけて、褒めあっていきませんか?
本当に話せる人とは
また、話せる人が話せない人を馬鹿にすることがあると思います。
個人的な考えですが、話せない人を馬鹿にする人は本当の意味で「話せる人」ではないと思います。
なぜなら、話せる人というのは言語を学ぶ難しさや奥深さを知っているからこそ、話せない人に対して馬鹿にする気持ちを持たないのです。
話せないのは普通、話せるのはすごい。
この考え方でいいんじゃないかと思います。
日本語を学んでいる外国人に私日本語話せるよってマウントしますか?発音や文法を馬鹿にしますか?
しませんよね。
むしろ学んでくれて嬉しいと思うはずです。
応援したくなるはずです。
もし馬鹿にする人がいれば、シンプルにその人の性格が悪いだけです。今すぐその人から離れましょう。
本当に話せる人は、まっすぐ言語というものに向き合い、学び、習得した人のことです。
何か少しでも感情を入れてしまっている人は「話せる」とは言いません。
言語はコミュニケーションを取るためにあります。
仲間を増やすためにあります。
英語を正しく発音できても文法が完璧でも、人と気持ちのいい会話ができない人を話せる人と言えるでしょうか。
わざわざ味方を減らすような言葉を使う人は、正確に問題ありかかなりの変人です。
この考え方でいうと、たとえ完璧な発音じゃなくても、完璧な文章じゃなくても人と気持ちのいい会話ができる人は「話せる人」なのです。
まとめ
今回、誰にも話していなかったけど誰かに話したかった「英語が話せる人」について書いてみました。
ブログをはじめたら自分の中にあった考えも発信したいと思っていたので、願望が叶って嬉しいです!
フランス生活にはほとんど関係のないことかもしれませんが、Jance plus+を運営している人ってこんな考え方を持っているんだなと知ってもらえたら嬉しいです。
専門家でも何でもない人の意見なんて、どこに重要があるのやらと思いながら書いていましたが、一人でも誰かの心に届けばいいな…なんて思っています。
これからもブログでは自分の考えも発信していきたいと思います!
それではまた~!
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